2013年6月13日木曜日

そろそろ書いてもいいかな「新聞編」(その4)

フリーコピー紙を創めて早13年、ずいぶん永い間やってきました。

その間、どんだけ事件があっただろう。

一番嫌な事は未だに続く、誹謗中傷だ。

初代編集長だった元教師が流した誹謗中傷の数々が、僕の現評判を作り上げたこの事実。

僕を知らない人でも僕の名前だけ知っていて、伝説的悪党にされている。

これはほんとに冗談では済まされない悪意である。

経済的損失も大きいし、10年余り続く精神的苦痛はすでに取り返しがつかないほど深いものになっている。

初代編集長の元教師は自分が蒔いた種で辞めて行ったのに、僕を恨むのは逆恨みの何者でもない。つまり、ほかのスタッフに嫌われた結果追い出されたのだから自業自得というやつで、仮に恨むならスタッフを恨めと言いたい。

そもそもロッブワタにボコボコにされる理由。キワ子に無視される理由って本人もしっかり分かっているはず。だからこそ僕にやりきれない気持ちをぶつけて恨みに変えていったのだろう。これって絶対変な話だ。

そして僕は経営者として正しい判断をしたにすぎず、我慢しきれず自ら辞めて行った元教師は辞めて当然の成り行きだった訳だ。

スタッフと元教師のトラブルはまだ言えない。

2013年6月7日金曜日

そろそろ書いてもいいかな「新聞編」(その3)

初代編集長だった元教師。

編集部の全員にボイコットされ、辞めて行った過去がある。

僕との間でも最初の決め事を破って揉めた経緯がある。元教師は教育大学からの実習生にすらボイコットされるくらいトラブルメーカー だからスタッフたちともうまくいく訳がなかった訳だ。

なぜあんなに嫌われるのだろうと思ってたが、やってること聞いたらなるほどとだったが、とりあえず今は彼のやった事は時期が来るまで書かないが恥ずかしい話である。


僕は一応経営者という立場から新聞の存続が何より大事だから、編集長とスタッフたちが対立し、どちらかを選ばねばならない苦しい立場を強いられた。

スタッフからは「私たち全員が辞めるか、編集長を首にするか二つに一つ!」
編集長からは「創立メンバーなのに助けてくれないのか?」

僕は『今までの素行を見ても能力を見ても編集長がひとりで仕事できる訳がない。存続を考えた   ら当然取る道は一つだけ。』
しかし、まさか編集長に首を宣告するのも酷なもの。結局お互い話し合いがつかなければ、編集長自ら辞めてもらうしかないという事で、スタッフたちは無視作戦を決行し、1か月ほどだったか元教師は事務所に来なくなり決着が付いた。

ところがその後が大変だった。

彼はストーカーのごとく誰彼かまわず日本人とみると僕の中傷をしたおかげで、僕は極悪人のレッテルを張られてしまったのだ。ちなみに中傷は10年以上続いている。
名誉棄損、営業妨害、本当うっとうしい奴。



2013年5月2日木曜日

そろそろ書いてもいいかな「新聞編」(その2)

フリーコピー発行して13年。その間いろいろありました。

その創刊して間がない頃の出来事・・・・
人手が足りないので、募集したら来た人間がびっくりするほど、宇宙人。
バイト初日にこいつのやった事は編集部のコンピューターにいきなりゲームをインストールし始めた。最初は何をやってるか分からなかったので、何やってるの?と訊ねてみれば、「ゲーム入れてます。(きっぱり)」 あ、あっそう。そうかあ、そうなんだ。と吞まれてしまい、その日は何も言えず仕舞いで終了。

次の日も出社後すぐにゲーム。
僕はこいつにグラフィックの経験あるかと訊ねてみれば、「経験ありません!」(汗)「でも大丈夫、すぐ出来ますから簡単なんで」 ゲ~

頭よさそうだし大丈夫かなと、思い直しみているといつまで経ってもゲームばっかでグラフィック覚えようとしない。
「あのさあ、グラフィックの勉強してみてよ。ゲームなんかやらずにさあ。」と僕。
彼は「仕事があればやりますよ!でもやることないじゃないですか!」

次の瞬間殴ってしまっていました。こいつが逃げるので 外まで追いかけたが、素早く逃げて行ってしまった。ほどなくして警察を連れて戻って来たんだが、ちゃっかりと診断書まで取ってくるという用意の良さ。まあ、結局何にも罪にならずに終わったが、むかつく奴だったなあ。

こいつ若いのにタイに居続けている。遺産で食ってるらしい。。
ついこの間もイミグレで見かけたよ。



2013年4月30日火曜日

がはは、チェンマイは小さい

昔Gという不動産屋がありました。
〝ありました″のだから、もうなくなっているのだが、そこの経営者がマッチポンプ的な人物で、
しかも周囲に金を借りまくり姿をくらました。
しばらくの間、どこへ行ったのか皆が探していた時期もあったが、ある人の金をくすねた人物を拉致した事件で、その人物が浮上して、まだチェンマイにいる事が分かった。
それが去年の話。それからまたどこにいるか分からなくなったのだが、この度、今度は居場所が分かってしまった。

確信犯は人をだます時に浮上して、充分だましたら潜伏する。そして写真はやっぱりない。

この人分かりやすいので、よく指を見る事。小指ないもんね。
とにかく人当たりは最高だね。

いい奴と思ってた時期もあったが、周囲から僕の事をぼろくそに言ってたことが分かり、がっかりした事もありそれ以来アポ。

また会社作って何かやろうとしているから、皆さん要注意ですぞ。


2013年4月8日月曜日

不公平と偽善

どうして世の中は不公平と偽善で溢れているのかね。

このチェンマイでもつくづく思います。

多額の横領事件に関わる人物、とても怪しい過去がある。でも世間では評判が良い。
それは何故かって?
皆さん知らないからですよ。事実を知ったら唖然でしょうな。(ああ、公表したい)

僕くらい長くタイにいるといろんな事知っています。

表裏もよく知ってます。

僕の立場から一つだけ言いたいのは、怪しそうな人物ほど信頼できて、その逆は十分注意が必要という事。
その理由はよさそうな人は装うから本当のところが分からないと思いませんか?
怪しい人は怪しいから注意深く観察するし、怪しまれてる人も怪しまれたくないから真面目な行動を取る。


2013年3月22日金曜日

違法性について

昨晩、入管に呼び出されて食事をした。

僕を呼び出した理由は、ある日本語情報誌の違法性についてだった。ある情報誌なんて云っても何せチェンマイにある日本語情報誌なんていくつもないから簡単に想像がつく訳。

その情報誌は慈善財団が運営している。つまり広告販売を慈善事業体が商売としてやっている可能性が高いので、調査に協力してくれという内容だった。

実は以前から僕も興味があった話。財団というのは隠れ蓑に使いやすい上、無税だからビジネスをしていて税金を支払ってる者にとってはまさに羨ましい限り。

財団は事業をしてもよいが運営の目的に合った職種でないとまずい。何をやってもよいのなら誰もが無税を選ぶに決まってる。僕の興味もそこだから関心を持っていろいろ突っ込んだ話をしてみた。結局商売はダメと言われてしまった。

今回の調査で出た結果を僕も役立てよう。

できれば違法でない事を祈りたい。

2013年3月18日月曜日

天河というイベントについて

3月17日、天河というイベントがリンピンスーパーの入ってるニムシティで開催された。
東日本大震災犠牲者となった方々の慰霊と支援してただいた方々の感謝を表すイベントだ。

僕は仕事の都合により途中からイベントを見に行ったのだが、思ったより人が少なくてスタッフが目立っていた印象。つまり入場者が少なかったという事、特にタイ人は少なかった。会場で会った知人曰く、早めに帰る人が多かったとの事。日本では震災関連で行われるイベントは数多くある。でもこうした海外で行われるイベントは数えるほど少ないのではないかと思うので、大切な催しとなってほしいものだ。それだけに趣旨がしっかり理解できるイベントとなる事、そしてタイ人の集客をもっと考えるべきでは?

今回2回目になるこのイベントだが、僕は主催者の方々に進言したい事柄がある。

まず心を一に共に歩く趣旨ならもう少し広範囲に告知活動をするべきではないだろうか。僕が関わる趣味のイベントなら口コミスタイルでも充分で、来ない人がいても、来てほしくない人がいても、知らせたくない人がいても全然かまわない。しかし、こういったイベントはもっと多くの人に知らしめるべきで、区別、差別は絶対ダメ。ましてや内輪色が強くなるのはもってのほか。

「天河」という友好イベントにして行こうとする指向じゃないかと勝手に思うが、その気持ちもすごくわかる。でも、もしこれから長く続けるつもりなら、もう少しタイの人が興味を示し、ちゃんと理解してもらえる内容が必要だ。何か学生の日本祭と変わらないと感じる気持ちなのは僕だけかな。

この手のイベントは本当に難しい。お祭りじゃないし、義援金活動じゃないし、ましてや商売でもないだろう。趣旨を分からない人はいらないとか、自分たちが嫌いな人は来なくてもよいと云うのでもないだろうと思う。みんなに理解をしてもらう催しでしょ?「犠牲になった方々の慰霊」「私たちはタイの人々に感謝してますよ。」「これからも仲良くして下さいね」まずは広く理解してもらうような構成で有ってほしいと思います。

最後に:
これは悪い批判ではありません。僕は無償の愛が好きなんです。偏見(僕みたいな人間に対して)を持たず、一つの意見として捉えてもらいたい気持ちから綴らせてもらいました。



2013年3月16日土曜日

そろそろ書いてもいい時期かな、新聞編(その1)

無料情報誌を立ち上げるきっかけとなった話をしよう。

13年前、宝島発行の一攫千金の本という本を読み、アメリカで成功した情報誌の話を読んだ時にチェンマイには日本語新聞がないからやってみたいと思いつき、当時早期退職した元教師と今も仲良く付き合っているコンピュータープログラマーのまこっちゃんの3人で情報誌を立ち上げる事になった。

資金は等分で出し合い、僕が営業、元教師は記事、まこっちゃんは紙面作りという事で小さな部屋を借り、スタートした。

バンコクのフリーコピーの作りを真似ての紙面作りだったが、毎日遅くまで作業に没頭して、その頃はまるで中高生の試験勉強のごとく、それはそれは楽しい日々だった。

今思うと、いくら素人と言えどもよくもあそこまで幼稚な紙面作りを平気でやっていたかと振り返るとお笑いだ。まあ、今でも素人作風は変わらないけどね。

儲かりそうだと始めた情報誌だが、3人ともほんとに儲かるとは考えていなかったと思う。現に言い出しっぺの僕が儲かるとは思っていなかった。それよりもチェンマイで誰もやらなかった事をやって、みんなを驚かしたかったというのが本音だった気がする。

創刊の作業も終盤を迎え、印刷の見積もりなどしていた頃、元教師とまこっちゃんの態度がやけによそよそしくなっていった。僕を避けるかのような態度をありありとするようになった時、元教師から当初の約束を反故にする内容を告げられた。印刷費の負担はしないと言うのだ。

『いまさら何を言ってるんだアホが! 』と心の中でつぶやく僕。

理由は営業(僕)が広告を取って来ていない、誰かから僕の悪い噂を聞いた。不安だ、だからお金は出さない。とまあ、こんな事を言い出したのだ。まこっちゃんも元教師に押された形でガタツクなら僕も金は出さないと言う。

僕はここまでやって来て、お互い合意した事を平気でくつがえす態度に腹を立てた。

それならと、僕は印刷費など経費は自分一人で出す、しかし、二人の取り分は儲かるようになってから払う事にすると、ほぼ独断で決定、そして発行にこぎ着けた。

勿論その決定には金を出さない奴は従うしかなかった訳だ。それが証拠に元教師とまこっちゃんはその後暫く仕事をしていたのだから。





すごい身勝手な奴

チェンマイで長くいる日本人から聞いた話。

ある事情でOという日本人男性から借金をしたN氏の話はこうだ。

月々定額で返済をしているが、時々返済が遅れていたが、その都度返済を迫る電話があり、その言い方に辟易していた。

そしてある日、経済的に苦しい現状からいつもより返済が遅れた時にOから言われた言葉が「遅れるのはあんたの事情で俺には関係ない!早く振り込め!」と暴力団まがいの催促を受けたそうだ。

そしてそれから遅ればせながら、振り込みをした日にまた電話があり、「いいかげんにしろ!払わないとどういう事になるか分かるか!」と脅迫され、さすがに頭に来て思い切り怒鳴って電話を切ったら、そのあと立て続けに20回以上の電話が鳴り、このストーカー行為に呆れてしまったそうだ。その翌日も言うまでもなく数回電話が鳴り響いたらしい。

日本でもそうだが、たとえ金を貸した側でも催促の為脅かしたりすると罪になる。ほんとに返してほしければ、しっかり法的処置をするべきである。脅かしたら負けなんだ。

その後どうなったんだろうか、また聞いてみる事にしよう。