2013年3月16日土曜日

そろそろ書いてもいい時期かな、新聞編(その1)

無料情報誌を立ち上げるきっかけとなった話をしよう。

13年前、宝島発行の一攫千金の本という本を読み、アメリカで成功した情報誌の話を読んだ時にチェンマイには日本語新聞がないからやってみたいと思いつき、当時早期退職した元教師と今も仲良く付き合っているコンピュータープログラマーのまこっちゃんの3人で情報誌を立ち上げる事になった。

資金は等分で出し合い、僕が営業、元教師は記事、まこっちゃんは紙面作りという事で小さな部屋を借り、スタートした。

バンコクのフリーコピーの作りを真似ての紙面作りだったが、毎日遅くまで作業に没頭して、その頃はまるで中高生の試験勉強のごとく、それはそれは楽しい日々だった。

今思うと、いくら素人と言えどもよくもあそこまで幼稚な紙面作りを平気でやっていたかと振り返るとお笑いだ。まあ、今でも素人作風は変わらないけどね。

儲かりそうだと始めた情報誌だが、3人ともほんとに儲かるとは考えていなかったと思う。現に言い出しっぺの僕が儲かるとは思っていなかった。それよりもチェンマイで誰もやらなかった事をやって、みんなを驚かしたかったというのが本音だった気がする。

創刊の作業も終盤を迎え、印刷の見積もりなどしていた頃、元教師とまこっちゃんの態度がやけによそよそしくなっていった。僕を避けるかのような態度をありありとするようになった時、元教師から当初の約束を反故にする内容を告げられた。印刷費の負担はしないと言うのだ。

『いまさら何を言ってるんだアホが! 』と心の中でつぶやく僕。

理由は営業(僕)が広告を取って来ていない、誰かから僕の悪い噂を聞いた。不安だ、だからお金は出さない。とまあ、こんな事を言い出したのだ。まこっちゃんも元教師に押された形でガタツクなら僕も金は出さないと言う。

僕はここまでやって来て、お互い合意した事を平気でくつがえす態度に腹を立てた。

それならと、僕は印刷費など経費は自分一人で出す、しかし、二人の取り分は儲かるようになってから払う事にすると、ほぼ独断で決定、そして発行にこぎ着けた。

勿論その決定には金を出さない奴は従うしかなかった訳だ。それが証拠に元教師とまこっちゃんはその後暫く仕事をしていたのだから。





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